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NOVOSOFT社の日本営業部

 ノボシビルスクに渡航して間もなく、現地のIT企業、Novosoft社と出会い、同社の日本向け営業活動を担当することとなりました。 Novosoft社は欧米向けのオフショア開発で大成功をおさめる一方、同社の剣道チームが全ロシアチャンピオンとなるなど、親日的で 日本との取引に積極的でした。私が仲介に入り、いくつかの取引を成功させたところで、ROTOBOのインタビューを受けました。 (ROTOBOマガジン (社)ロシア東欧貿易会 モスクワ事務所発行NO.5 2002年 9月号)

ロシア人エンジニアの抜群の技能、集中力

― 10年前に日本に来たロシア人がたいへん優秀で、それが現在に至るきっかけになったとのことですが、どんな風に優秀だったのですか?

1991年に札幌のソフト開発会社に勤めていた時、モスクワから来た3人のロシア人と一緒に仕事をしました。 そのロシア人たちはUNIXという技術を知らなかったんですが、日本にいた3ヶ月の間に全部覚えて、 複雑な数学計算を必要とするグラフィックスソフトを作ってしまったんです。短期間でたいへん洗練されたものができ上がり、 すごく衝撃を受けました。それでいつかロシアに渡ってロシア人技術者と一緒にシステムを開発したいというのが目標になりました。 彼等の仕事は展開が早く、集中力が桁外れです。宇宙ステーションを作ってしまう国の力強さを感じ、日本人とは違うと思いました。

実はそれ以前に、 日本の開発現場の混沌を体験し行き詰まりを経験し、技術や手法の面でもっと違う方法があるのではないか、 もっと良いやり方があるのではないかといつも考えていました。ロシアのやり方は、 良いか悪いかは分かりませんが日本人とは違うやり方をしていてそれを知りたいという気持ちがありました。

― なぜモスクワではなく、ノボシビルスクを選ばれたのでしょうか?

私にはロシアとのコネクションが全くありませんでした。ロシアに行きたいといってもロシア語も知りませんし、コンピューターの仕事ができるとも全然思って いませんでした。チャンスがあればいつでも行けるように日本語教師の試験を受けて日本語教師としてロシアに行ける機会を待ちました。 ちょうど「コンピューターの2000年問題」が落ち着いた頃にノボシビルスク工科大学が日本語教師を募集していたので早速応募しました。

それまではノボシビルスクという名前も場所も全く知りませんでした。ノボシビルスクと決まったときに地図を見たらモンゴルの上の方にあったので、 羊を放牧している中央アジアの小さい町だろうと思いました。でも来てみたらすごい大都市で文化も科学技術も発達していて想像とは全く違っていました。 ノボシビルスクへ来て本当に良かったと思っています。

日本人はノボシビルスクのことをほとんど知りませんので、ここを紹介するウェブサイトを作り2002年の1月にオープンしました(著者注:現在は閉鎖)。 日本語クラスの学生や現地の日本人からいろいろな情報を集めてサイトに載せています。 サイトの取材を通じて今働いているノボソフトというコンピューターの会社とも出会うことができました。

― ウェブサイトへの日本からの反応はどうですか?

アクセス数が結構多くてびっくりしました。宣伝も何もしていない頃からアクセスがあっていろいろな人とも知り合えておもしろかったです。 興味を持たれて実際にノボシビルスクにいらっしゃっている方もいますし、企業で働いている方たちも情報を求めてアクセスされます。

― 今は、工科大学とノボソフトで働いていらっしゃるんですか?

工科大学は、6月末で終わりました。来期の9月からは鉄道大学とシベリア国際関係大学で日本語を教える予定です。工科大学は国立大学ですので給料が少ないんですよ。私立だとちょっと待遇が良いので。(笑)

― ノボシビルスクの冬はどうですか?

私は秋田県出身ですので寒さには自信があったのですが、やはり毎日マイナス20度以下というのは、想像していたのとは全く違っていました。 マイナス40度でもコートを着て帽子をかぶれば外に出ることはできます。でも、マイナス30度以下で外に1時間も立っていたら死んでしまうと思います。 部屋の中は暖房が完備していますので問題はありません。マイナス40度になるとバスは運休しますが、商店は開いています。 路上のお店も営業していますが、商品が凍っていることもあります。

― 日本へは帰られていますか?

ノボソフトの営業で今年の4月に一度帰りました。1週間で九州から秋田、山形、長野、東京、神奈川をまわりました。

― 収穫はありましたか?

8社訪問して、現在まで2社と開発協力が実現し、3社の情報誌にノボソフト情報が掲載されました。 「ロシアの会社ってどんなの?」という好奇心から私が呼ばれたようなところもあり、 海外に仕事を発注するという決断をできる会社はまだ少ないようです。 (著者注:当時は、ソフトウエアの海外発注をする会社は日本にはほとんどなかった。)

優秀な人材を集めるノボソフト

― ノボソフトはどんな会社ですか?

ノボソフトは、1992年頃にロシア人技術者とアメリカ人の投資家が出会い、最初は6人で始めたベンチャー企業です。 欧米企業からの注文に応じているうちに2002年現在470名という規模にまで成長しました。日本との取引は昨年2001年から始まりました。 これまで10件の日本向けシステムを納入しています。ノボソフトというのは、一言で言えば、ソフト開発の総合デパートという感じです。 ディスカウントストアではなく、品質が良く多様で世界トップレベルに相当するものを作っています。 ノボソフトに仕事を発注してくるお客さんの方が技術を知らない場合も多いのですが、 そういう場合でもノボソフトは最新技術を使った最適システムを提案するという形でやっています。 また、開発管理手法としてRUP(Rational Unified Process)、UML(Unified Modeling Language)を使い、品質管理レベルCMM2に認定されています。 これは日本企業が次世代の標準と考えているものと一致していて、私自身、これを習得するために社内研修を受けています。

― 欧米から引き抜きなどはきませんか?

逆に我々が欧米から引き抜いています。欧米にいるロシア人はロシアに帰りたがっていますから。しかし、 ノボソフトからモスクワ最大手の会社に引き抜かれていく人もいます。

― 新田さんの他に外国人はいますか?

韓国人、アメリカ人が常駐、そのほかに短期でノボソフトに働きにヨーロッパから技術者が来ています。ロシアの会社ということにこだわっていて、 ノボソフト社からは海外への技術者派遣を避ける雰囲気はあります。ロシア人でフランス語、ドイツ語、 英語ができて相手の国の言葉で開発や対応ができる人がたくさんいます。私が雇用されたのは、 やはりノボソフトがこれから日本企業に営業展開をして行きたいという理由からです。日本に限らずアジアにビジネスを展開したいと思っているようです。 ちょうど良いタイミングで私が網にかかったという感じでした。

― 現在まで日本向けのシステムを10件開発されたということですが、ノボソフトのロシア人が仕事を通じて得ている日本人に対する印象はどうでしょうか。

150万人都市のノボシビルスク市には今、日本人が10人もいません。一方、ロシアには、ウラジオストック経由で日本製中古車がたくさん入り、 ポケモンやセーラームーンなど日本のアニメが放映されていますし、ソニー、パナソニック等の電化製品も出回っています。 また、空手、合気道、剣道、杖道のクラブもあり、黒澤明、北野武の映画、村上春樹の小説などは特に人気があります。 日本に対しては、皆さん興味は持っているのですが、日本人がいないので日本人は謎という風に見られています。 外国人だからといって差別するわけではなくて逆差別というかすごく尊敬してくれます。 仕事面では、ノボシビルスクの企業と日本との直接交流が非常に少ないので実際日本と何かやるときにお互いにとまどうことが多いです。 ロシア人にとって日本との交渉や取引は、欧米クライアントに比べ3倍ぐらいの苦労があると思います。

日本とのビジネス拡大を目指す


― 例えばどのような苦労がありますか?

日本人は、言わなくても分かってくれるだろうとか暗黙の了解とかいうのがありますが、こちらはそういうのはありません。 日本からは非常にあいまいな注文が多いのでロシア人にとって分かりづらい部分があります。

― どのような仕事内容ですか?

私は営業と開発に必要な、仕様の説明、双方向へ意志を伝えることをしています。日本人に分かりやすい説明書をつくったり。 意思疎通の通訳みたいなものです。欧米向けの営業を日本人にしてもかえって嫌われることがあります。 日本向けの営業のし方をいろいろと試行錯誤しながらやっています。 欧米のクライアントの場合はノボソフトのウェブサイトを見てすぐに発注してくるのですが、日本企業の場合は見積りとか様々な情報を集めて、 でも結局決断できず、さようならということがあります。非常にむずかしいなと思っています。

― ロシアに対する日本のイメージとして、約束を守らない、急に話が変わるなどということがありますが。

確かに、ロシアの役所の窓口などではあらゆる言い訳がまかり通るようです。停電や電話障害、担当者の病欠、 パソコンの故障のために手続きが止まっても担当者や組織の責任にはならないんです。
ノボソフトとアカデムゴロドク(隣接の研究都市)は設備インフラが整っていて、そういう問題はありません。 ノボソフト社では、欧米で必要とされる程度のビジネスマナーはしっかり守られています。
ソフト開発現場では、欧米の場合、明確な仕様をもとに開発しますから、納期間近になってあわてる、ということはありませんが、 日本から低コスト・高品質・短期間を要求される仕事があって、本当にぎりぎりの時間でやっているのに、 納品間近になって仕様変更が入り納期は変更なし、という難しい局面になることがあります。 仕様に基づいた必要最小限のコストしか見積もりに入れていないので、仕様変更時はコストも納期も変更になります。 このような変更が、日本人にとってはわずらわしく感じられることもあるかもしれません。 発注する日本側の意識を変えてもらうか、あるいはノボソフト側でもっと「どんぶり勘定」にするか、難しいところです。

― 売上はどうですか?

最初の6名から50名になり現在470名の企業にまでなりました。欧米のITバブルに乗って伸びてきましたが、バブルがはじけて仕事が減ってきています。 そういう意味でも日本企業からの大きな仕事を獲得したいなと思っています。(ちなみに、2001年度の売上高は600万ドル‐約7億2千万円)

― 良くも悪くも、ロシアって他の国と違うなと思うのはどんな時ですか?

一番びっくりしたのは、自分の誕生日に自分から皆にご馳走を振舞わなければいけないということです。 それからサッカーとか何かテレビの試合などで賭けをしたとき、勝った方が皆にビールをおごらなければならないということです。(笑)



言語の壁を意識させない会社に


― 今後のノボソフトの対日戦略は?

私は日本でUNIXやWindowsのシステム開発をプログラマーからプロジェクトマネージャーまで全般的に経験しています。 私がノボソフトにいて技術面で日本向けのカスタマイズをし、またロシア人の日本語翻訳チームが日本語に翻訳することを通じて、 日本企業にとって言語の壁を意識させない会社としてこれからもっと充実させて行こうと思っています。 日本の仕事というのは仕様がとてもあいまいで変更がとても多いです。日本の場合は、最初に予算が決まっていて、 仮に変更によって工数が増えても予算は変えられないということがあります。 そういう需要にも対応するために日本向けのワークフローを最近作成しました。日本からの需要に対し、 ノボソフト側の体質改善をしています。一番難題なのは、日本に支店を置かないでどのように営業をするかということです。 今のところは、たまたま当社のウェブサイトを見て連絡をくれた日本企業とコンタクトをとりながらやっていますが、 もっといろんな会社にノボソフトを知っていただき、仕事を出していただきたいなと思っております。 やはりロシアが大丈夫かどうかというのが日本人にとって一番心配なところだと思うので、 ノボソフトのウェブサイトや私の個人サイトを通じて、ノボシビルスクは住むにも安全で、 ノボソフトも企業として安定しているということを宣伝して行きたいと思っています。

― ロシア経済は今たいへんな勢いで成長していますが、ノボシビルスクでもそれは感じられますか?

2001年9月に来ましたが、現在までのこの短期間でも大きな変化が見られます。例えば、 9月の時点では、「銀行に預金するのは危ない」とか「部屋を探すのに不動産屋を通すと高くつく」とか言われていましたけれど、 今は誰もが銀行口座を持ち、現金はなるべく家に置かずカードを持ち歩き、部屋探しは不動産屋に頼みます。 未整備だったいろいろな社会のしくみが、まともになってきたという感じです。最低賃金が少ないとかいう問題はありますが、 街の中を見ていると新しい店がどんどんできてその店のサービスが非常に良く、とてもロシアとは思えないような感じです。
日本から経済視察団や大学関係の視察が毎月のように、ただし短期滞在で来ているようです。しかしそれ以上にヨーロッパや韓国、 中国からは大量に何十人という規模で2週間とか長期間で経済視察団が来ています。日本も乗り遅れないようにして欲しいです。

― お休みは何をしていらっしゃいますか?

ウェブサイトを作っています。それからベレスタという白樺細工を個人的に日本に売り込みたいと思っていますのでその製品カタログを作ったり、 売り込むまでではないのですが、こちらの陶磁器等もすごく良いものがありますのでそういったものを取材してサイトに載せていこうと思っています。 ロシア語を勉強する時間がなくて困っていますが・・・。あとは、時間をみつけて劇場やコンサートに行ったりしています。